知性と感性のあいだに──青少年と産芸学官が熱く交わった「高野山会議2026」実施報告
1200年続く高野山での3日間。8つのセッションで生まれた「悩み」と「悟り」のサイクル
一般社団法人 社会的価値共創フォーラム(代表理事:吉田哲臣)は、東京大学先端科学技術研究センター(以下、東大先端研)が主催する「高野山会議2026」に特別共催として参画し、2026年8月20日(木)から22日(土)までの3日間、高野山金剛峯寺および高野山大学を会場に開催いたしました。
高野山会議は2021年に東大先端研の先端アートデザイン分野が主催する形で第1回が開かれ、2022年からは同センター主催で年1回重ねられてきた対話の場です。6回目にあたる今回、当フォーラムが特別共催として加わり、産業界が本格的に参画したことで、産芸学官(産業・芸術・学術・行政)の連携が強まりました。
あわせて、当フォーラムが東大先端研と共同主催する「青少年高野山会議2025」の最終プログラムも同時開催され、27名の青少年が約1年の学びを修了しました。
本年のテーマは「Nature-Centered の視点から1200年の未来を語る」。人間が自然を理解し制御するという Human-Centered な視座から、人もまた自然の一部であるという Nature-Centered な視座への転回を問い続けた3日間となりました。その概要をご報告します。
開催概要
名称:高野山会議2026
開催期間:2026年8月20日(木)〜22日(土)
会場:高野山金剛峯寺、高野山大学(和歌山県伊都郡高野町高野山)
主催:東京大学先端科学技術研究センター
特別共催:一般社団法人 社会的価値共創フォーラム
共催:高野山金剛峯寺/高野町/高野山大学/和歌山県/橋本市/かつらぎ町
参加費:無料
併催:青少年高野山会議2025「結」、先端アートデザイン展、クラシックコンサート、コンサートシリーズ meets
■肩書を外すところから始まった3日間

初日の開会式は、高野山真言宗の声明で幕を開けました。主催者を代表して挨拶した東大先端研所長の杉山正和氏は、今年から当フォーラムとともにビジネスセクターを迎えた新体制で運営することを紹介し、高野山に積み重ねられた1200年の歴史と、そこに織り込まれた連続的なつながりを基盤に世界を認識することの重要性を語りました。
開会を宣言した高野山会議ファウンダーで東京大学名誉教授の神﨑亮平氏は、この会議が金剛峯寺と高野町・橋本市・かつらぎ町をはじめとする地域との連携協定のもとで育てられてきたことを強調して地域の方々への感謝を述べ、会議を始めたきっかけは「人間中心の視座が偏りすぎた」という問題意識だったと語りました。共催者を代表した金剛峯寺執行長・高野山真言宗宗務総長の今川泰伸氏、ホストとして挨拶した和歌山県知事の宮﨑泉氏も、それぞれの立場から会議への期待を語りました。
続くオープニングトーク「高野山で語り未来につなぐ価値」で、杉山氏は「この1時間は対話の練習をしよう」と宣言。肩書きや立場を外して自由に発言する、相手を打ち負かそうとしない、いろいろな見方があるという前提で対話する、正解・不正解はない、という高野山会議のルールを示しました。
高野山大学学長の松長潤慶氏はこれに応え、重々帝網、自利利他、円融無碍という密教の三つの概念を、この後3日間の議論の土台として語りました。
重々帝網(じゅうじゅうたいもう)
一人ひとりが鏡の玉のようなもので、そこには自分以外のすべてが映り込んでいる。その映り込んでいるものこそが自分自身なのだという考え方です。
自利利他(じりりた)
一人ひとりが鏡の玉のようなもので、そこには自分以外のすべてが映り込んでいる。その映り込んでいるものこそが自分自身なのだという考え方です。
円融無碍(えんゆうむげ)
「円融」はまろやかに溶け合うこと、「無碍」は隔たりがないことを指し、あらゆる存在が互いに融け合って一体となる境地を意味します。

後半は、当フォーラムのファウンデーションアドバイザーである奥田久栄氏(株式会社JERA 代表取締役社長CEO兼COO)と髙島誠氏(株式会社三井住友フィナンシャルグループ 取締役会長)に加え、山田裕行氏(有限責任 あずさ監査法人 理事長)、酒井則明氏(出光興産株式会社 代表取締役社長 社長執行役員CEO)、井手博氏(株式会社IHI 代表取締役社長 最高経営責任者)、山田貴博氏(アビームコンサルティング株式会社 代表取締役社長CEO)、蛭子貴裕氏(エルエヌジージャパン株式会社 代表取締役社長)らが、それぞれ肩書を降りて一人の産業人として発言しました。
奥田氏が語ったのは、言葉と数字で捉えられる範囲の狭さと、高野山会議への思いでした。宇宙を構成するもののうち、言葉と数字で説明できるのはわずか5パーセント。人と人のコミュニケーションでも、言葉が担っているのは15パーセントほどにすぎない。残りを受け取るには、感性を使うしかない。ビジネスは言葉と数字で動く世界だからこそ、その感性を磨く場所が必要であり、高野山がその場所である。それが、この会議を支援してきた理由である。そう奥田氏は述べました。
そこへ、青少年高野山会議に参加した男子大学生が応じました。周りの学生のほとんどがAIを使って課題を一瞬で終わらせている。その様子を見ながら、「それでは人間に何が残るのか」と考えているのだ、といいます。AIの処理は速く、人間は遅い。だとすれば、時間をかけてしか得られないものにこそ価値があるのではないか。時間そのものが価値になるのではないか。そう語りました。経営者と青少年がフラットに言葉を交わす光景が、初日から生まれました。
■ それぞれの角度から、同じ問いに向かった
オープニングトークに続き、3日間にわたり7つのセッションが繰り広げられました。
セッション1「WAの芸術とデザイン 継承と変換」が扱ったのは、日本のものづくりを何によって次へ渡すのかという問いです。南部鉄器 鈴木盛久工房の十六代 鈴木盛久氏は、砂を粘土状にして紋様を施し、そこに溶かした鉄を流し込む製法を紹介しました。砂型は繰り返し使えるため廃棄物がほとんど出ないといい、「砂の鋳型はゴミにならない。400年前からすでにサステナブルな製法だったんです」と鈴木氏。染織作家で多摩美術大学准教授の辛島綾氏が示したのは、燃料が薪から油へ、電気へと変わっても、火が灯り続けていれば継承は成立しているという考え方でした。「美の継承とは、灯し続けること」と辛島氏。
アビームコンサルティング代表取締役社長CEOの山田貴博氏は、この考え方を企業経営に引き取りました。例に挙げたのが住友グループです。何百年も続く中で、商品も事業も技術も時代に合わせて変えてきた。一方で品質へのこだわりや信用、社会との向き合い方といった本質的な価値はずっと受け継がれてきた。変えてはいけないものを守るために、変えるべきものを変え続ける。そこに持続する組織の強さがある、と述べました。統括を務めた東大先端研客員上級研究員の伊藤志信氏は、これを「『作る』から『作らない』へ」と表現。物質的な豊かさを追求する段階から、サステナビリティという思想そのものをデザインの対象とする段階へ移っていると指摘しました。

セッション2「アートデザインフォーオール」は、統括の伊藤節氏(東大先端研特任教授)が掲げた「隠れた共生価値」をめぐる議論となりました。未来の環境や社会を良くする取り組みの価値は、なぜ評価されないのか。三菱UFJリサーチ&コンサルティング フェローの渡部博光氏は、現代社会は近代科学の客観性と経済学の合理性という2つの原理で動いており、その2つに収まらない感性や情動、体験といった価値には測る物差しがないため、存在しないかのように扱われてしまうと述べました。
日立製作所の主任デザイナー・池ヶ谷和宏氏が紹介したのは、未来を予測するのではなく、起こりうる未来を並べて選ぶための手法です。人間には計算しきれない約2万通りの未来を機械に探索させて分類し、その中から人間が望ましい一つを選ぶ。そこへ至るには何年後にどんな分岐点があるのかを特定する。ある自治体では、住民を交えてこの作業を行い、2050年の地域の姿を選んだといいます。
アートプロデューサーで認定NPO法人スローレーベル芸術監督の栗栖良依氏が語ったのは、東京2020パラリンピックの後に残った問いです。大会前は共生社会という言葉があふれたのに、大会が終わると縮小していった。パラという別の道を用意するのではなく、本来の仕組みの中に組み込むべきではないか。効率だけで測ると見えなくなる存在を、設計から組み込む。その点で、アクセシビリティとサステナビリティは同じことをしているのではないかと述べました。

セッション3「Why war? ひとはなぜ戦争をするのか?」は高野山会議を代表する問いで、今回で5回目を数えます。元国際司法裁判所所長でライデン大学名誉教授の小和田恆氏は、この問いを二つの層に分けました。「人間の本性としてなぜ争うのか」という問いと、「国家という集合体がなぜ戦争という手段を選ぶのか」という問いです。考えるべきは後者だとしたうえで指摘したのが、国内には裁判所も警察もあるのに、国際社会は合意しなければ縛られない自律的な秩序でしかないという構造でした。そして、個人には倫理が働くが、国家という集合体は倫理を持たない。それどころか、個人から切り離された欲望を国家の意思として持ってしまう、と。だからこそ小和田氏が改善策の第一に挙げたのは、国民の意思が国家の意思に反映される仕組みを、それぞれの国の政治体制に組み込むことでした。
政策研究大学院大学教授の安田洋祐氏は問いを反転させました。一度の戦争の背後には未然に防がれた何百もの危機があるはずで、だとすれば問うべきは「なぜ多くの場合は戦争しないのか」ではないか。癌細胞は健康な体の中でも常にできているが、免疫がそれを抑え込んでいる。深刻な癌だけを調べていては、普段どうやって体が癌を抑えているのかは見えてこない。そしてゲーム理論の観点から、互いが十分に長い将来を視野に入れられるかどうかが、「協力」が成り立つかどうかを分けると述べました。
蓮華定院住職で前高野山大学学長の添田隆昭氏は、石油の禁輸で追い込まれた日本の国民が、開戦の報に「納得していたどころではない、狂喜していた」と語りました。第一次大戦後のドイツも、巨額の賠償金で経済が破綻したところに世界恐慌が重なり、国民の困窮の上にヒトラーが現れた。存立そのものが危うくなるまで追い込まれた国は暴発し、国民がそれに動員されていく。だからこそ、一つの国をそこまで追い込まないことが重要なのだと説きました。

セッション4「宇宙と地球 科学・芸術・技術の交点」では、地上の「当たり前」が問い直されました。KPMGコンサルティングで宇宙ビジネスを担当する宮原進氏が投げかけたのは、「その当たり前は、いくらか」という問いです。私たちは水を飲むとき、誰がそれを用意したのかを考えません。ところが宇宙では、空気も水も温度も自分で設計しなければならず、誰が供給し誰が責任を負うのかという値札がつく。宇宙ビジネスとは、日常の前提を設計し直す仕事なのだといいます。
宇宙デザイナーの山下コウセイ氏が示したのも「裏返し」でした。いま座っている椅子の形は重力が生んだものであり、グラスも、人間の骨格や三半規管も、すべて1Gという条件の上にできている。無重力では成り立たないのだから、数千年かけて積み上げてきた道具の形を、いま一から設計し直せる時代が来ていると語りました。
東大先端研教授の関華奈子氏が示したのは、40億年前の火星が地球よりも生命に適した惑星でありながら、その環境を失ったという事実です。いまの地球も、条件が揃っているから維持されているにすぎない。3人に共通していたのは、宇宙を「地球の当たり前を裏返して見せる装置」として捉える視点でした。

セッション5「地域のアイデンティティとサステナビリティ」で、奥田氏はサステナビリティを「人が気持ちよく一生を全うできる空間を維持し続けること」と定義し直しました。条件は4つ。自然との共生、食料とエネルギーの安定供給、地域を離れなくても働ける就労機会、そして地域の文化と歴史で、4つ目こそ重要と語ります。感性は育ってきた風土の中で育まれる。ただし、その風土を守るだけでは豊かになれない。各地を訪れて驚くのは、地域の人が自分たちの価値にほとんど気づいていないことだ、と奥田氏は言います。地域の魅力に気づくのはたいてい外から来た人で、そこに価値をつけられる。風土から生まれるものを守りながら価値化していくことに、日本が価値経済へ移る鍵があると述べました。
神戸市長の久元喜造氏が紹介したのは、阪神・淡路大震災の翌年に着工された大容量送水管でした。完成まで20年かかることは初めから分かっており、混乱の極みにあった当時の市民にはメリットを感じにくいものでしたが、それでも着工したのは、20年後の市民のためでした。都市が持続するには、そこまで先を見た災害インフラが要るという教訓です。
高野山大学教授の森本一彦氏が示したのは、明治まで女人禁制だった高野山が、単体では人口を再生産できない、いわば出生率ゼロの都市だったという事実。それでも1200年続いたのは、周辺の村が分業して支えたからで、周辺の地域なくして高野山はなかったと語りました。
議論は、行政区ではなく「愛を持てる範囲」で地域を捉え直すという視点へ向かいました。「うちの街には何もない」と言う人も、話を聞いていけば必ず誇れるものが出てくる。それを丁寧に紐解いていけば、住民自身が新しい地域の定義を作れるのではないかという提案です。

セッション6「身体から考えるおおらかな人間らしい社会のあり方」の起点は、統括を務めた東大先端研教授の爲末大氏が置いた問題意識でした。指標化とは、質の異なるものを一つのものさしに揃えて比較できるようにする操作であり、揃えた瞬間に、そのものさしに乗らないものが排除される。では、複雑なものを複雑なまま扱うにはどうすればよいのかと爲末氏は問いかけました。
ソニーコンピュータサイエンス研究所の遠藤謙氏は、競技用義足の開発で選手と向き合う中でも、観測できていないもの、指標化できていないもの、そして納得感が残ると述べました。選手が「この義足がよい」と言う理由はデータに出てこないことがある。単に履き慣れているだけかもしれない。爲末氏はこれを受け、選手が不調になったとき心理学者は心理の問題として見て、栄養学者は栄養が足りないと見る、しかし選手自身は身体として総合的に複雑な世界を抱えているのだと応じました。
声楽家で東京音楽大学教授の小森輝彦氏が挙げたのは「遊び」です。完全にコントロールされた状態に美しさは感じられないし、遊びのない状態では思いを寄せられない。遊びがあることがおおらかさにつながるのだと語りました。
三井住友銀行で社会的価値創造推進部長を務める松永圭司氏も、ほとんどをデータで意思決定する金融の世界で、最後に残る裁量をマネジメントがどこまで持てるかが要になる、と応じています。隙間を埋めるのではなく、残す。異なる現場から出発した議論は、あらかじめ掲げられていた「おおらかな」という言葉に、それぞれの道筋で辿り着きました。

セッション7は、高野山大学開学140周年を記念する「科学・芸術・密教が育む世界」。進行を務めた東大先端研教授でヴァイオリニストの近藤薫氏は、高野山の関係者から受け取った「私たちはみんな中継ぎです」という言葉を議論の入口に置きました。次の世代に何を残すのか、自分の満足の域を超えて動いているか。育成とは本来、社会の仕組みを作り運営する大人にとっての学びの場であるはずで、学ばない大人からは子どもは何も学ばない、と自戒を込めて述べました。
松長氏が語ったのは、「存在するものに価値のないものはない」という空海の教えです。そのうえで即身成仏を「関係性のあるすべての存在の価値を認め、利他を実践すること」と定義し直しました。髙島氏は、自社の教育投資を30億円から60億円へ倍増させてもなお足りないと述べ、これから必要なのは主体性や探究心といった非認知能力だと語りました。
後半は、近藤氏に促されて青少年高野山会議の参加者が発言に加わりました。語られたのは「先生」という言葉についてです。英語のteacherは教える人という意味で、日本語の「先生」は先に生まれる人という意味である。だとすれば、自分と同じ道を一歩先に歩んでくれている人こそが先生ではないかと。
近藤氏が最後に、なぜ高野山の教えは1200年続いたのかと松長氏に問いました。根っこにあるのは「利他」である。人の役に立とうという気持ちは誰もが持っていて、それを思い出させてくれる教えだからこそ続いてきた。価値観は人の数だけあるが、大切なのは違いを認めることではなく、自分の物差しに合わないものにも価値を見出せる目を持つことなのだ、と松長氏は応えました。

■1年のプログラムを終えた、27名の青少年
青少年高野山会議は、既存の教科や分野の枠組みにとらわれず、課題発見・解決能力と社会的価値を創造する資質の育成を目指す、東大先端研による独自のSTEAM教育実践の場として誕生。今回、2期生にあたる27名の青少年と3名のラーニングパートナーが、2025年10月の「序」から2026年8月の「結」まで、約1年のプログラムを走り抜けました。
「結」は8月19日、高野山大学黎明館での開会式から始まりました。続いて行われたのが、インプロビゼーション(即興表現)のプログラム。走りながら自由に3人の輪を作り、次は4人の輪を作る。警察官や相撲取りになって、あるいは何にでも答えられるスーパーAIになって、一人ずつ言葉を発する。ペアを組み、目を閉じた相手の手を取って歩き、途中で役割を入れ替える。12年後の自分を演じてみる。先が見えないまま進むこと、自分のサインを知ること、成功や失敗ではなく気づきがあればよいこと。頭で考えず、直感で心を動かし、相手を信じて交わることの大切さなど、青少年たちは口々に感想を述べ、身体表現を通じて多くの気づきを得たようでした。

翌20日の朝、参加者は高野山執務公室長の藪邦彦氏の案内で奥之院の参道を歩き、弘法大師が入定する御廟へ向かっています。その後は金剛峯寺奥殿での座談へ。産業界のリーダーたちと膝を突き合わせ、立場を超えて語り合う時間となりました。

■学びを表現に昇華した修了式
8月21日、金剛峯寺新別殿で行われた修了式は、参加者による弦楽四重奏で幕を開けました。

続くポスター発表では、プログラムの3つの節をそれぞれの参加者が振り返りました。第1節「衣食住・外的世界」を担当した参加者は、環境問題、食事、音楽、エネルギー、戦争と、まったく異なって見えた講義のすべてに「人間はどう生きていくのか」という共通の問いがあったと述べています。「愚者はいつも壁を作り、賢者はいつも橋を架ける」という言葉を持ち帰ったといい、セッション3と同じ「Why War」の問いについても、単純な善悪の対立ではなく正義ともう一つの正義がぶつかることで起こるのではないかという見方を示しました。
第2節「心技体・内的世界」を担当した参加者が立てたのは、外の世界を見て回るだけでは自分の問題にならない、という前提でした。体験してどう感じたかを自分で見つめ直す作業が要るとして、自己理解を深めることを目指したのだといいます。能の指導を受け、火力発電所を見学し、ベートーヴェンの交響曲第5番を題材にした講演とコンサートに参加し、AIとロボティクスを学ぶ。そこから持ち帰ったのは、答えが出るまでの時間を非効率と切り捨てず、その過程そのものを味わうという姿勢でした。「AIが速く答えを出す時代だからこそ、言葉にならない身体の実感を手放すべきではない」とも述べました。
第3節「円融」を担当した参加者が挙げたのは、当事者研究で得た視点の転換でした。障害とは個人の心身の問題で治すべきものだと考えられてきたが、そうではなく、社会環境と個人のあいだに生じるミスマッチなのだという捉え方です。参加者は、3つの節をきれいにつなげられた人もいれば、個別に受け取った人もいると率直に語りました。受け取り方が違うということは、一人ひとりが自分の視点を持っているということであり、それでよかったのではないか。そう述べて、1年をこう締めくくりました。
「息を吸って感じ、息を吐いて考える。そんなことがこれからも自然とできるようになった1年だった」
続いて会場中央で、男女4名の参加者による舞踊が披露されました。生演奏に合わせ、最初はばらばらに動いていた4人が、床に転がり、重なり合い、やがて互いに手を取り合って背中合わせに座り、静止する。生命の誕生からコミュニケーションの発達までを表現したものだと、後のトークで明かされました。目を閉じた状態で練習し、背中を押されて動く体験から生まれた動きだといいます。

最後のスペシャルクロストークのテーマは「これから私はどう生きていくのか。これからの1200年を考える」。4つのグループがそれぞれの結論を持ち寄りました。
学びを日常生活に活かす方法を話し合ったグループは、周囲と同じ流れに乗ることはたやすいが「そこに自分の意志はあるか」を問い続けることが重要だと述べました。「自利利他」を掘り下げたグループは、西洋的個人主義に基づく人権が「私とあなたは違う、だから侵さない」という発想であるのに対し、自利利他は「私の中にあなたがいる、あなたの中に私がいる。だからあなたを傷つけることは私を傷つけること」だと整理。これを基にした新しい人権思想を構想できるのではないかと提案しました。
アートを主題にしたグループは、「答えがない」とは決まった答えがないことではなく、さまざまな見方があることだと捉え直し、必要なのは「共感」ではなく「共鳴」ではないかと語りました。次世代への継承を話し合ったグループは、1200年という果てしない時間軸ではなくまず10年後から考えることにしたと述べ、AIに正しい答えを求めがちな現代において、答えがたくさんある問いを考えることの大切さを伝えたいと結びました。

「おめでとう」「ありがとう」「一緒に歩みましょう」。講評に立った杉山正和氏は、3つの言葉から始めました。「今日この場において、上下関係は完全に解消されました。皆さんは私たちと対等な存在です」。

さらに、参加者の身体表現に涙腺が決壊し涙が流れたこと、感性が揺さぶられたままクロストークを聴いて再び涙があふれたことを率直に明かしました。この後に2つのセッションで司会を務めなければならないのに頭がパニックになっている、それくらい素晴らしかったと語りました。
統括の近藤薫氏が最後に置いたのは、「仲間」という言葉でした。「僕にとって、この会議で一番大事なことは仲間を作るということです。君たちは今日から先端人です」。ここで出会った繋がりをこれからも大切にしてほしいと結びました。

翌22日には高野山大学黎明館のロビーでポスターセッションが開かれ、青少年の振り返りポスターとともに、共生価値のアートデザイン社会連携研究部門の研究成果が展示されました。

■地域への感謝を込めて、開かれた音楽

高野山会議の特徴は、セッションと音楽などの表現がともに重要な位置を占めていることです。今年も総監督を近藤薫氏が務め、20日夜に高野山大学黎明館でクラシックコンサート、21日朝に金剛峯寺大広間でコンサートシリーズ meets が開かれました。
コンサートの冒頭、近藤氏は開催の経緯をこう語りました。世の中をよくしようと、それぞれが一生懸命に研究している。しかしどうもなかなか解決しない。それがわかってこの高野山に場所を借りに来て、音楽会を開き、僧侶や産業界の人々が集まって話し合うことから始まった。場を貸してくださる皆様への感謝の思いを込めてこのコンサートを開催しているのだ、と。
今年は例年より1曲多い構成となり、高野山会議のコンサートに初めて登場したグランドハープによるドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」も演奏されました。青少年高野山会議の参加者や修了生も演奏に加わりました。
会期中は金剛峯寺 四季の間で先端アートデザイン展も開かれ、伊藤節氏デザインの彫刻「GORIN」(製作:JERA)、十六代 鈴木盛久による南部鉄器の鉄瓶と茶釜、伊藤節氏・伊藤志信氏のデザインによる南部鉄器作品などが展示されました。
■「高野山宣言2026」を採択して閉幕
3日目の午後、高野山大学黎明館でクロージングセレモニーが行われました。神﨑亮平氏、松長潤慶氏、金剛峯寺の宗務室長、和歌山県企画部長、高野町副町長、橋本市長、かつらぎ町長、そして当フォーラム代表理事の吉田哲臣氏が並ぶなか、近藤薫氏が「高野山宣言2026」を読み上げました。

宣言が掲げたのは、多様性を認め合うこと。利他の心の教育を高野山で実践すること。そして多様な価値を認め合う姿勢を、高野山から世界へ広げていくことでした。
杉山氏は、3日間をこう振り返りました。青少年と大人が並んで座る光景に充実感があった。高野山会議は感性の側に振ってきたが、産業界が加わったことで理性の側からの言葉も同じ場に置かれるようになった、と。
そのうえで、まだやるべきことがあると続けました。一つは、会議をより開いていくこと。産業界に対して大きく開いた次は、より多くの人にいかにして参加してもらえるのか。もう一つは、世界へ向けること。世界の人たちの「利他」の心をいかに束ねていけるかを考えたい。
結びに杉山氏はこう語りました。この3日間、参加者はセッションごとに悩み、そのたびに小さな悟りを得ていたのではないか。悩みと小さな悟りのサイクルが何度も回っていた。そしてこれからその小さな悟りを表現していくことによって、高野山会議の精神性は社会に実装されていくのかもしれない。高野山会議2026は、この言葉をもって閉幕しました。
一般社団法人 社会的価値共創フォーラムでは、〈円融の集い場〉として、都内で開催する「産芸学官 円融の対話」と、次世代育成の「青少年高野山会議」を通年で実施しています。ご関心をお持ちの企業・個人の皆様からのご連絡をお待ちしております。
