〈円融の集い場〉産芸学官 円融の対話
「我々は分断を超えられるか──その先に何があるのか」
アカデミア・企業人・芸術家が問う、分断の根源と人類の行方
格差・世代・地域・国家の分断を超えて──白川方明氏・長谷川眞理子氏・奥田久栄氏・中井遼氏・近藤薫氏・杉山正和氏 講演&パネルディスカッション
■概要
・テーマ: 「我々は分断を超えられるか──その先に何があるのか」
・日時: 2026年4月27日(月)16:00〜18:00
・会場: 日本橋髙島屋三井ビルディング 9階「日本橋ホール」およびTeamsウェビナー
・主催: 東京大学先端科学技術研究センター/一般社団法人 社会的価値共創フォーラム(共同主催)
■登壇者プロフィール
白川方明氏:
日本銀行第30代総裁(2008〜2013年)。中央銀行トップとしてリーマン・ショック、東日本大震災、欧州債務危機の対応にあたった。青山学院大学国際政治経済学部特別招聘教授。
長谷川眞理子氏:
自然人類学者。総合研究大学院大学元学長、日本芸術文化振興会理事長。自然人類学・行動生態学が専門。
奥田久栄氏:
株式会社JERA社長CEO兼COO。国内最大の発電会社を率いる。一般社団法人社会的価値共創フォーラム ファウンデーションアドバイザー。
近藤薫氏:
東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター、東京大学先端科学技術研究センター教授。
中井遼氏:
東京大学先端科学技術研究センター教授。比較政治学専門。著書に『欧州の排外主義とナショナリズム』(新泉社)。民主主義・ナショナリズム・社会的分断のメカニズムを研究。
杉山正和氏(ファシリテーター):
東京大学先端科学技術研究センター所長・教授。

■サマリー
金融政策・エネルギー企業・人類学・政治学・音楽の実践者と研究者が「分断」を多角的に論じた。基調講演では、格差・世代・地域・国際収支の四層に及ぶ分断構造と持続可能性の閾値(白川氏)、民族・情報空間・中央地方という三つの分断と政治学的知見(中井氏)、グローバリゼーションの系譜と「ジャム(均一化)かサラダ(個性融合)か」という視点(奥田氏)が示された。
パネルディスカッションでは、モーツァルト『魔笛』が250年前に投げかけた合理主義への問い、人類600万年史におけるダンバー数150という認知的上限、「そもそも分断ではなく、最初から別々だった」といった様々な視座の対話が交わされ、問いに対して五者五様の答えが提示された。分断については違いを消し去ろうとするのではなく、違いを抱えたままつながり直すという方向性が示された。
■「断絶」と呼ぶべき時代
開会挨拶に立った一般社団法人社会的価値共創フォーラム代表理事・吉田哲臣氏は、今日の状況を「分断」「断絶」という言葉で表現した。「分断は国際関係のみならず、様々な局面で現れており、経済だけでなく私たちの生活にも影響を与えている」と述べ、本フォーラムは「肩書きを超え、立場を捨てて、同じ立場で対話する」場であると語った。

■基調講演①「格差・世代・地域・国家、四つの対立構造が経済の持続可能性を蝕む」白川方明氏
「分断」は四つの層で起きている
白川氏は、「分断」の構造を四層に整理した。

第一層:所得・資産の格差拡大。日本は極端な富裕層こそ少ないが、相対的貧困率はOECD加盟国の中でも高い水準にある。世界の中央銀行総裁が不平等問題を講演で取り上げる頻度が2010年頃から急増しており、問題の深刻さを示している。
第二層:高齢者と現役世代の対立。65歳以上人口の比率は1960年代初頭の約6%から、2024年時点で29.3%へ上昇。将来推計では、2040年には35%前後に達すると見込まれる。現役世代の負担増への不満が高まる一方、その解消策として「バラマキ」が起きやすく、財政赤字の拡大を招く。日本の政府債務残高の対GDP比はG7の中で際立って高い。
第三層:地域間の対立。人口減少地域では公共インフラの一人当たり維持コストが増大し、財政資源の豊かな地域からの移転で賄う構造が対立を生む。
第四層:国際収支の黒字国と赤字国の対立。米国は世界最大の赤字国でありながら、ドル決済ネットワークからの排除を制裁手段として使う。かつては敵対国のみが対象だったが、今や同盟国も「将来自分たちが制裁対象になるかもしれない」と懸念し始めている。
対立が閾値を超えると、社会の持続可能性が失われる
白川氏が強調したのは、対立そのものの問題ではなく、「対立が一定の閾値を超えると合理的な意思決定が難しくなり、持続可能性が損なわれる」という構造だ。財政赤字が膨らめば、大規模地震など国家的危機への対応余力が失われる。どのグループに属するかに関わらず、その被害は社会全体に及ぶ。
過去30年で事態が難しくなった三つの理由
白川氏はこの30年で、事態はより難しくなっていると語った。
①グローバル化の進行。適応できる人とそうでない人の格差拡大。②潜在成長率の低下。成長の果実の分配から、負担の配分という「民主主義が不得意な問題」へ。③SNSの発達。単純化されたストーリーや陰謀論が広まり、問題解決がますます遠ざかる。
それでも期待する三つのポイント
「魔法の杖のような解決策は存在しない」とした上で、白川氏は以下の三点に期待を寄せた。
①共感(シンパシー)の役割。国家という単位は大きすぎて他者への共感が働きにくい。コミュニティが他者への想像力を育てる。②専門家による情報発信。「不都合な真実を語りにくい社会の空気」に抗い、勇気を持って発言することが求められる。③機関投資家の潜在的な力。年金・保険など長期資金を預かる機関投資家が、サステナブル投資を通じて企業行動を変え、ウェルビーイングへの注目を促す好循環。
■基調講演②「分断の三つの顔、魔法の解決策がない理由」中井遼氏
「分断」を論じるとき、私たちは何を問題にしているのか
比較政治学者の中井氏は、まず「分断」の定義から入った。「相互に対話が不可能、妥協もできない、敵対してしまっている、会話が成立しない。そういった状況を我々は『分断』あるいは『断絶』と呼ぶのではないか」。

政治学者は「社会には利害も理解も異なる人々が集まっており、全員にとって好ましい解決策はない」という前提に立つ、と中井氏。だからこそ制度的仲介・法・利害調整が必要であり、それが政治の本質だと述べた。
三つの分断
中井氏は3つの分断について論じた。
①民族・宗教・アイデンティティをめぐる分断。「異なる民族や宗教が共存していること自体は、実は紛争の原因ではない」というのが、この20年の実証的政治学の知見だ。問題は違いそのものではなく、その違いが政治的権力や経済的格差と結びついたときに紛争の確率が上がる。「民族紛争に見えるものは、実は政治的・経済的格差の問題である」という認識は、紛争調停の現場にも広がりつつある。長期的に紛争による死者数は減少しているという希望の持てる事実も紹介した。
②情報空間における党派的・感情的な分断。エコーチェンバーやフィルターバブルの深刻さについては「一定の議論がある」とし、ファクトチェックの有効性についても、「間違いを突きつけると反発を招き、むしろ既存の信念を強化する(バックファイア効果)」という問題があり、どのような介入が有効かはまだ研究途上であると述べた。
③中央と地方の分断。「古くからあるが、しかし今なお軽視できない問題」として取り上げた。都市部と地方では、リソース・機会・チャンスに厳然たる差がある。欧州・北米の先進国では、従来の左右の対立軸よりも「都市と地方の政治的亀裂」の方が激しくなっているという研究もある。日本ではまだ政治的分断として顕在化していないが、常に足元に置くべき問題だと強調した。
多様な意見の反映が重要。ただし「全会一致」は機能しない
解決の方向性として中井氏が示したのは、「多様な主体が意思決定の場に参加できること」だ。ただしどんな少数意見でも全て尊重する「全会一致」では物事が決まらず、実効性がなくなると指摘。「多様なインプットを受け取りながら、どこかで決を切る」バランスが重要だと述べた。
■基調講演③「世界はジャムか、サラダか──グローバル化の破綻と新たな秩序へ」奥田久栄氏
1989年の夢と40年の企業人生
「私の企業人としての生活は、まさにグローバリゼーションとともにあった」と奥田氏は語る。社会人として1989年の冷戦終結を迎え、「人と資本が東西・南北の区別なく移動し、お互いの違いを理解することで平和な世界が訪れる」という夢を持っていたと振り返った。

企業のグローバル化の二つの戦略
企業のグローバル展開には二つの型があった。一つは「自国の製品・サービスをそのまま世界に展開する」型(米国のハンバーガーチェーンやコーヒーショップが典型)。もう一つは「その国の価値観・嗜好に合わせてローカライズする」型だ。どちらが正解かではなく、この二つが並走した時代が1990年代から2000年代にかけて続いた。
グローバルスタンダードづくりという「歪み」
2000年代以降、国家が産業政策として「自国に有利なグローバルスタンダード」を世界に押し付ける競争が始まった。自動車安全基準のように世界全体の安全を高めた良い例もある。奥田氏は、欧州主導の脱炭素基準が、再生可能エネルギーと蓄電池を中心に設計される一方で、電力需要が急増する新興国の実情を十分に織り込めていないのではないかと問題提起した。「グローバルスタンダード作りが企業活動の障壁になる」という言葉が出てきた頃から、グローバリゼーションは「相当怪しくなった」と奥田氏は語った。
極端なローカル中心主義という揺り戻し
行き過ぎたグローバルスタンダードへの反動として、今度は「極端なローカル中心主義=自国中心主義」が台頭。これは冷戦期のような純粋なイデオロギー対立とは異なり、「極端なグローバリゼーションによって失われたローカルの価値が、オーバーシュートする形で顕在化している」という構造だ。
「ジャムかサラダか」小説から引いたゲーテの問い
奥田氏はここで、鈴木結生氏の芥川賞受賞作『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版、2025年)に触れた。同作では、ゲーテの言葉をめぐる探索を通じて、世界を「ジャム」のように均質に溶かし込むものとして見るのか、「サラダ」のように異なるものが異なるまま共存するものとして見るのか、という問いが示される。
多様性を溶かし込むのか、それとも個を立てたまま統合していくのか──これが作品全体を貫く問いだ。
奥田氏はこの「ジャムとサラダ」という対比を引いて現在の世界を語った。ジャムを目指そうとしていたグローバリゼーション一辺倒の動きはいったん否定され、これからはサラダ型の融合を目指していく。「そのターニングポイントにいる」というのが奥田氏の現状認識である。
■ パネルディスカッション──我々は分断を超えられるか?
モーツァルトからの「250年来の宿題」
冒頭、近藤氏はパネルディスカッション冒頭の話題提供としてオペラ『魔笛』を題材に語り始めた。啓蒙思想の勝利を描くようなこの作品で、モーツァルトが「未来」を託したのは、理性の象徴ザラストロの世界ではなく、自然を愛し感性のままに生きるパパゲーノとパパゲーナだった。彼らにたくさんの子を生ませたモーツァルトは、「合理主義・理性主義には限界があるのではないか」ということを250年前から問いかけていたかもしれない。それが近藤氏の提示する「宿題」だ。

人類は「分断するもの」か「まとまるもの」か
長谷川氏は一気にタイムスケールを広げ、約600万年の人類史を捉え、人類はその大半を狩猟採集の遊動生活として過ごしてきたと説明した。599万年は狩猟採集の遊動生活であり、定住生活はたった1万年、400世代に過ぎないという。「脳の基本構造や感情は、この599万年で培ったものであり、400世代では変わらない」。
人間が安定的に社会的関係を維持できる人数の認知的上限は約150人であるとする、英国の人類学者ロビン・ダンバーが提唱した理論を紹介し、長谷川氏は現代人が何百万人・何十億人とつながることができる技術を持ってしまったことのストレスを指摘。「世界の作り方を変えないといけない潮時」だと述べた。
杉山氏の「人類はそもそも分断するものか」という問いに、長谷川氏はこう答えた。「対立はいつもあるし、嫌な人もいる。だけど、一緒に暮らさないといけないという大前提があったので何とかやりくりしてきた。技術の発展でその大前提が崩れ、快適になった副産物として失ってしまったものがたくさんある」。

「そもそも最初から分断だった」奥田氏の逆転の視点
「分断って何か一つにまとまっていたものが切れるイメージがあるが、そもそも一つにまとまったことなんてないはずだ」と奥田氏は言った。「分断」という言葉の悪いイメージを転換すれば、「それぞれの国・民族が培ってきた価値観や歴史・文化がある」ということだ、と奥田氏。
問題解決の方向性は、細部まで同じルールを押し付けることではなく、「大きな目標だけをシェアして、それ以外はそれぞれのやり方を持つ世界の秩序をいかに作るか」だと述べた。唐代の長安が、ソグド人やペルシャ系の人々を含む多様な外国人を受け入れて栄えたように、「成功している社会はみんなそういう形をとっている」。
クラシック音楽の世界でも同じことが起きたと指摘。20世紀後半に、国際的な大編成オーケストラによる演奏様式が一つの到達点を迎える一方で、古楽器や小編成、地域性を重視する潮流も広がっていった。「極端なグローバリゼーションから極端なローカル中心主義へ、現在はそのハイブリッド構造を作っていく過程の出発点にいる」という認識だ。
金融から見た「サラダの難しさ」
グローバルスタンダードの先駆けは金融だったと白川氏は指摘した。1988年に国際決済銀行(BIS)のバーゼル銀行監督委員会が策定したバーゼル合意は、ラテンアメリカ危機でアメリカの銀行が傷んだことを契機に、「アメリカだけが自己資本規制を強化すると競争条件が不利になる」という理由でグローバルルール化が進んだ。
当初は世界全体の金融システムの安定に寄与したが、「だんだんと大国のルールになってしまっている」のが現状だ。「サラダという方向感には共感する。しかしそのサラダをどう作るのかはまだわからない」と白川氏。
ドレッシングは何か?分断を超えるための「隠し味」
杉山氏が「サラダが成り立つためのドレッシングは何か」と問いかけた。

奥田氏: まず素材(野菜)が美味しくなければならない。各国・各企業・各個人が「オーナーシップを持って責任ある行動をとる」ことが大前提。ドレッシング(ルール)は小さくていいが、「これだけは守る」という最低限の国際的な仕組みは必要だ。

中井氏: ドレッシングをかける前に「かけるかどうかを話し合うプロセス」が重要だ。EUの補完性の原則のように、地元でできることは地元でやり、上位のレベルは下位でできないことだけを担う。「唐揚げにレモンをかけるかどうか、まず聞いてからかけなさい」と。

白川氏: ドレッシングは「プロフェッショナルのヒューマンネットワーク」だ。対立しながらも「ここまでやれば協力できる」を探し出す粘り強いコミュニケーション。アメリカ合衆国は南北戦争以前、各州が独立した主体であるという意識から動詞に複数形の “are” が使われていたが、南北戦争後に連邦としての統一性を反映して単数形の “is” が徐々に定着した。白川氏はこの文法の変化を「自分たちが同じ共同体だという実感が生まれた分岐点」として語り、「そういう実感を共有できるかどうかがドレッシングの最低条件だ」と述べた。

長谷川氏: 大人数の組織を動かすのは無理である。小さい集団でやりがいが見え、自分の貢献が実感できる社会を作り、それをITでつなぐ。「地球という船に穴が開いたら一等船室も三等船室も全員沈む」。その認識のもとに、小さい中での争いをやめること。

近藤氏: 人間の感覚を取り戻すことが先決だ。情報過多の時代に「自分と向き合う時間」が失われている。クラシック音楽は電気の力を使わず、人間が不自然に感じる音量を出さない。「不可逆にならないような感覚を取り戻す」こと、そして「ザラストロの合理主義的な世界と、私たちの自然性をいかに合流させるか」。それがモーツァルトの宿題への答えだ。

■「負担の配分」という民主主義の難問──会場からの問い
会場からも鋭い質問が飛んだ。
「潜在成長率が落ちていく局面では民主主義は負担の配分が苦手だとおっしゃった。社会が好転していく前提でサラダという考え方はよいかもしれないが、そうではない状況化でこの負担の配分の難しさとどう折り合いをつけるのか」
白川氏は二つの方向を示した。一つは「専門家が不都合な真実を語ること」。減税を求めると結果として社会保険料負担が増え、低所得者層にとってかえって不利になる。そうした帰結を専門家は勇気を持って示さなければならない。
もう一つは「将来世代への想像力」。少子化は単に子供の数が減るだけでなく、将来に対するイマジネーションが働きにくくなることを意味する。「人間は決して馬鹿じゃないから、必ず内部から解決策を見出すはずだ」。
■ 丸くまとまらず、つながっていくことを目指そう
ファシリテーターの杉山氏は、「丸くまとまらなくていい。つながっていくことを目指す」と語り、セッションを締めた。専門家と市民のコミュニケーション、AIに頼りすぎず感性を保つこと、そして想像力を豊かにすること。それが対話から浮かび上がった方向性だ。 五者の答えは一つではなかった。しかし、共通して浮かび上がったのは、違いを消し去るのではなく、違いを抱えたままつながり直すという方向性だった。

次回(6月頃予定)のテーマは「バーチャル空間は、人と社会のあり方をどう変容させていくか」(仮)。繰り返し登場したテクノロジーとの付き合い方、バーチャルの可能性と危うさといった議論は、次の問いへとつながっている。
■ 設立1年でフォーラム参画10社に拡大
「産芸学官 円融の対話」の後に開催された社団法人の懇談会で挨拶に立った奥田氏は、社会的価値共創フォーラムのファウンデーションアドバイザーとして、フォーラムの現状を報告した。「企業人と芸術家を結びつけ、知性・理性と感性の両方をフル稼働させて複雑な社会問題を考える」という趣旨のもと、青少年も参加する1年間のプログラムを運営している。
設立約1年で参画は10社に達し、さらに複数社が参画検討中だという。「これからもサラダ作りに取り組んでいきたい。この社団法人の名前を『サラダを作る会』に変えた方がいいかもしれない」と笑いを誘いながら、フォーラムのさらなる発展を祈念して乾杯した。